川淵三郎は病気もち?過去の業績・経歴・84歳現在も元気でスゴイ!

国旗

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長の後任には川淵三郎氏となりそうです。

森氏の83歳より1つ年上となる、84歳川淵氏の病気や体調面などは大丈夫なのか?

また、過去に数々の業績を残してきた川淵氏の経歴はどうなっているのか?

川淵三郎氏の病気・体調面とこれまでの業績や経歴についてまとめてお伝えします!


川淵三郎は病気もち?体調面は大丈夫?

川淵三郎氏は2019年3月(当時82歳)に多形慢性痒疹(たけいまんせいようしん)に悩まされていました。

多形慢性痒疹の症状としては、小さなぽつぽつ(丘疹)で苔癬化(ごわごわと皮膚が厚く硬くなってしまった状態)が混ざった状態が長く続くようです。

はなふさ皮膚科より出典

病気の原因は「僕の場合はストレスから来ているらしい」と発言されており、一時期この病気に悩まされていましたが、その後は大きな病気や体調不良で仕事を休んだりということはない様です。

川淵三郎氏はこれまでに大きな病気やケガはなく現在は健康体ということが分かりました

SNS上では、森氏から川淵氏に変わり評価する声が多く上がっている一方で、川淵氏への体調・健康面を配慮するコメントはいくつか散見されました。

しかし、日本は70代、80代ばかりの政権で 後進国としか思えない。おじいちゃんばっかりでもう政治どころか自分の体調管理で 精一杯の年齢だ

twitterより引用

川淵さんか。当たり前に政治家がと思ってたから意外だが良さそう。 高齢だが体調不安がなければ問題無い。年齢で批判してる人は性差別してるのと大差ないんじゃないのかね。

twitterより引用

また、森氏の「女性差別」発言を受け、同様に乙武氏は「年齢差別」もやめようという発言を早々に出していました。

女性・男性・年齢などではなく、あくまでも個人を見ようという乙武氏のコメントには多くの賛同が集まっておりました。

川淵三郎のプロフィールと過去の経歴・業績について

川淵三郎のプロフィール

川淵三郎氏のプロフィールは下記になります。

  • 生年月日:1936年12月3日
  • 出身地:大阪府高石市
  • 身長172㎝ 体重72㎏
  • 最終学歴:早稲田大学
  • ご家族:奥様と2女の4人家族

川淵三郎の現役選手時代

実は、川淵三郎氏は「1964年に開催された東京オリンピック」で日本代表として対アルゼンチンセン戦でゴールを挙げています!

選手としてもすごい経歴をもっています。

1958年 日本代表に初選出。関東大学リーグ優勝。

1959年 ローマ五輪アジア予選出場。

1960年 第7回チリW杯アジア予選出場。関東大学リーグ優勝。

1961年 3月、早稲田大学第二商学部商学科卒業後、古河電気工業入社。4月、横浜電線製作所勤務。同社サッカー部でプレー。

1962年 インドネシア・ジャカルタで開催された第4回アジア競技大会に出場。12月、結婚。

1964年 日本代表として東京オリンピック出場、対アルゼンチン戦でゴールを挙げた。

出典:Wikipedia

川淵三郎の現役選手引退後

川淵氏は「Jリーグ設立の立役者」であり、そしてプロバスケットボール「Bリーグ」発足の立役者でもあります。

他にも、下記の様な日本スポーツ界を盛り上げて行くため「9競技12のトップリーグや協会の改革」に取り組む活動もされています。

JリーグBリーグなでしこリーグVリーグ女子バスケハンドボールラグビーアイスホッケーホッケー女子ソフトフットサルアメフト

また、引退後の経歴は下記になります。

1970年 現役引退(日本代表通算68試合、18得点)。古河電気工業サッカー部コーチ就任。

1972年 古河電気工業サッカー部監督就任(1975年退任)。

1976年 日本サッカーリーグ常任運営委員就任(1979年退任)。10月伸銅事業部第1販売部課長。

1980年6月、LA五輪強化部長に就任。8月、系列会社「谷商株式会社」の常務取締役に出向。

11月、日本代表監督代行就任。

1981年 日本代表監督退任。

1982年6月、古河電気工業・名古屋支店金属営業部長。

1984年4月、日本サッカー協会強化部長退任。

1988年6月、古河産業へ出向、取締役伸銅品部長。8月、JSL総務主事就任。

10月、日本サッカー協会理事就任。

1989年6月2日、JFA・プロリーグ委員会委員長就任。

1990年8月、プロリーグ検討委員会委員長就任。

1991年3月、強化委員長、プロリーグ設立準備室長就任。

11月、社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立、初代チェアマン就任。

11月、30年勤続した古河電気工業退社。

1993年5月、Jリーグ開幕、国立競技場にて開幕宣言。

1994年5月、日本サッカー協会副会長就任。6月、W杯日本招致委員会実行副委員就任。

10月、強化委員長退任。

1996年7月、2002年W杯開催準備委員会実行副委員長就任。

1997年12月、2002年FIFAW杯日本組織委員会理事就任。

2002年7月、Jリーグチェアマン退任。後、日本サッカー協会会長(キャプテン)に就任。

2008年6月、3期6年務めた日本サッカー協会会長を退任、名誉会長に就任。

2010年9月、日本サッカーミュージアム館長に就任。任期は2年。

2011年5月、日本将棋連盟非常勤理事に就任。

2011年6月、東京都教育委員に就任。(2012年11月22日退任)

2012年3月、心の東京革命推進協議会会長に就任。

2012年4月、JFAアカデミー堺スクールマスターに就任。

2012年6月、日本サッカー協会名誉会長を退任し、同最高顧問に就任。

2012年11月、東京都教育委員を退任し、東京都知事選に出馬する猪瀬直樹選挙事務所の選対本部長に就任。

2013年3月、公立大学法人首都大学東京理事長の就任が決まる。任期は、4月1日から4年間。

2015年1月、国際バスケットボール連盟主導で設立された日本バスケットボール協会改革のためのタスクフォース「JAPAN 2024 TASKFORCE」のチェアマンに就任。

2015年4月、一般社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ理事長に就任。

2015年5月、日本バスケットボール協会会長に就任。日本トップリーグ連携機構会長に就任。

2016年6月、日本バスケットボール協会会長を退任し、エグゼクティブアドバイザーに就任。

2017年3月、公立大学法人首都大学東京理事長を任期満了で退任。

2018年3月、日本サッカー協会最高顧問を退任し、同相談役に就任。

出典:Wikipedia

まとめ

川淵三郎氏はこれまで自身が選手としてやってきたサッカーだけでなく、スポーツ界全体の発展に力を尽くしてきたことが分かります。

また、森氏の後任となることについて川淵氏はインタビューで「人生最後の大役という事でベストを尽くしたい」という強い想いを語っていました。

現在、体調面・健康面において問題もなく元気である川淵三郎氏。

今後もオリンピック開催にあたって様々な問題が出てくる事が予想されますが、これまでのスポーツ界を発展させてきた川淵氏の手腕を見守っていきたいと思います。




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